令和5年7月 発刊に寄せて

組合員の皆様、御健勝のこととお慶び申し上げます。日頃より組合活動、建設国保の諸運動に多大なる御理解と御協力を賜っております事に御礼を申し上げます。

新型コロナウィルス感染症もようやく収束し、五月八日で季節性インフルエンザと同じ「五類」へと移行しました。これにより、対面での会議、事業、催し物がコロナ禍前にまで戻っての活動が出来ると思っています。

先の第六十八回定期大会に於いて、皆様よりご審議頂き承認されました予算、事業方針で令和五年度が計画通り活動している状況にあります。組織人員の減少に歯止めのかからぬまま高齢化が進み、若者が入職しない状況の中、シニア会の発足を促し、脱退防止に努めてまいりますので、是非、御協力をお願いします。

五月十三、十四日、神奈川土建一般労働組合第五十二回定期大会に初めて参加して来ました。神奈川県以外の来賓者は、全建総連、東京土建、千葉土建、全京都労働組合、福岡建労、田川建労の六組合で、唯一単組で招待されたのが田川建労だけでした。それで、少し調べてみました。

昭和二十六~二十八年頃、全建労の加藤書記長(のちの全建総連委員長)が再三、鶴岡土建労組を訪れ、建設労組の結成指導に当たり、昭和三十一年一月、田川建設労働組合が設立されました。山形県連は昭和三十七年が始まりで、県連が出来ないうちに、田川建労独自で中央に参加していた事になります。この様な経緯で、全建総連との繋がりが出来ました。又、その頃は田川建労からの出稼ぎ者も多く、留守家族懇談会もあり、交流を深めたと聞いています。

平成十年の佐藤労災により、関東四土建との交流が盛んになり、田川・首都圏の相互に、出稼ぎ者や留守家族を交えた懇談会も開催されるようになりました。神奈川土建の益田委員長は「故三浦一男全建総連中央執行委員長からは大変お世話になった」と感慨の思いで話してくれました。

この様な関係から、田川建労は単組ながら全国の仲間の皆さんと交流が出来るのだと実感致しました。

建労新聞 第129号 令和5年7月1日より